コメカミの和画煎字記

コメカミが観た日本映画を1000字前後で感想をまとめています。

「ほとりの朔子」

f:id:Comecomin2:20140216174508p:plain


『ほとりの朔子』予告編 - YouTube

「歓待」以来の深田晃司監督、杉野希妃プロデュース作。この数年のあいだに腕を磨いてきて、そのスキルが十二分に生かされた作品。中心街からも少し離れたところにある、便利とも不便ともいえない長閑な環境で淡々と進んでいく時間、それぞれが初対面だったり微妙な距離感だったり、深く話せる知り合いもいない閉塞された空間。そのなかで、繰り広げられる人間模様。以前から続いた関係もあれば、新たに生まれる関係、そしてそれが解放されたりされなかったり、散りばめられた人間模様が混乱させることなく丁寧に静かに描かれる。それぞれの関係を知る者、知らない者。そのすべての情報を知った我々は、まるで神のようでもあり幽霊のようでもありながら、それぞれの様子を見て楽しむ。中盤のあるシーンでのニヤニヤとハラハラが止まらなかった。“歯車が狂っていく”という表現はよく聞くが、“歯車に油をさしたら良い具合に回り始める”と言ったほうがよいだろう。思わぬ伏線もあり、観る側を油断させない。やはり舞台演出もこなす監督の手腕が発揮された細かな演出がすばらしく、会話のテンポからしぐさ、会話に入っていない人たちの表情にまで細かな演出が施されていて、それに応える役者陣の演技力も見事。気の抜けたような作品の世界観とは真逆な、一つひとつへ気を抜かない制作陣の努力がうかがえる。これまでのフィルモグラフィーにはなかった、素朴で透明感があり、子供と大人の狭間で悩む、モラトリアムな少女を演じた二階堂ふみ、ポスターにもある湖のほとりで佇む彼女はとても色っぽかった。前作以上に怪しさと優しさを兼ね揃えた古館寛治や表情だけで心の動揺を演じた太賀もすばらしいが、個人的にはナヨナヨした人物かと思いきや自然と肉欲で溢れた男に切り替わる演技を見せた大竹直を評価したい。自分を良くみせるため、自分の人生経験の豊富さのために、敢えて困っている人に手を伸ばす偽善。誰かの幸せのために、自分が犠牲になり貴重な時間をなくす偽善。誰のためにもならないが、物事がうまく運ぶために目の前にあることを良きことととらえ見過ごす偽善。さまざまな偽善が交錯するなかで、どれを受け入れて、どれから逃げるのか。人生の分岐点で悩む少年少女と、人生の後半に差し掛かったところで振り返る大人たち。何か思い悩んでしまったときに見返したくなる作品である。余談ではあるが、終盤で使用されるある曲がプロデューサーである杉野希妃自身が歌っていることに気付いたのは映画のあとだった。ちゃんと聴いておけばよかった。