コメカミの和画煎字記

コメカミが観た日本映画を1000字前後で感想をまとめています。

「ハロー!純一」

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映画『ハロー!純一』予告編 - YouTube

今年観た「ジャッジ!」のなかで、空港でコマーシャルを観た老人が、つまらなすぎて倒れるシーンがあり、「さすがにこんなことないだろう。」と思っていたが、まさか似たような体験をするとは思ってもみなかった。会話のテンションから話の流れのテンポまですべてが不快、下手な人のヴァイオリンの演奏と黒板を爪でギーとやられている音を一緒に聴かされているような気分だ。メーター振り切れてるのではないか、というぐらいオーバーなアクションを乱発する石井克人演出がこれまで以上に網羅され、しかもその演出対象が子どもなのだから不快度はさらに倍増。子役たちにいかにも子役っぽい演技で漫画のようなキャラクターを演じさせ、奇声をあげながらただギャーギャー騒ぎつづける様を観させられて、冒頭10分ほどでちゃんと観る気が完全に削がれた。我修院達也森下能幸石井克人に飼い馴らされた犬のような役者たちの、変なテンションの演技はウンザリ。良いシーンだなと思ったところにまた変な奴が出てきて物語の展開をぶち壊してしまう。存在意義すらわからない覆面の教師、防災ポスターの顔になっているほどなのに雑貨屋でアルバイトしているモデルなどおかしいところも満載。大オチである消しゴムの展開も「だったら、普通の消しゴムでよかったのでは?」と思ってしまう。エンディングで2回も聴かされる説教くさい歌も不愉快だし、大体クラスメイトの母親の誕生日を祝うという本来の目的はどこにいったのだろうかというぐらい薄れてしまっている。子供たちをいじめる中学生たちを凝らしめるのは、タカオさん(森岡龍)にしておいたほうが、ベタではあるが終盤のアンナ先生(満島ひかり)との展開も呑み込みやすかった。小学生に映画に興味を持たせるという名目で小学生以下を無料にしているらしいが、小学生料金を払うほどの価値がないと素直に言ってしまったほうが潔い。子供向けにするために、いつもの演出をさらにオーバーにしたのかもしれないが、小学生はあのようないかにも子供向けな映画を観させられるのは、一番嫌うのではないだろうか。石井克人演出に応えつつ、自分の演技力の幅を魅せる満島ひかりはさすがの一言だし、子供たちがビビる薬局の店員を演じた津田寛治はすばらしいと思う。石井克人作品を鑑賞候補から消すトドメを刺してしまった映画であった。

 

「ほとりの朔子」

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『ほとりの朔子』予告編 - YouTube

「歓待」以来の深田晃司監督、杉野希妃プロデュース作。この数年のあいだに腕を磨いてきて、そのスキルが十二分に生かされた作品。中心街からも少し離れたところにある、便利とも不便ともいえない長閑な環境で淡々と進んでいく時間、それぞれが初対面だったり微妙な距離感だったり、深く話せる知り合いもいない閉塞された空間。そのなかで、繰り広げられる人間模様。以前から続いた関係もあれば、新たに生まれる関係、そしてそれが解放されたりされなかったり、散りばめられた人間模様が混乱させることなく丁寧に静かに描かれる。それぞれの関係を知る者、知らない者。そのすべての情報を知った我々は、まるで神のようでもあり幽霊のようでもありながら、それぞれの様子を見て楽しむ。中盤のあるシーンでのニヤニヤとハラハラが止まらなかった。“歯車が狂っていく”という表現はよく聞くが、“歯車に油をさしたら良い具合に回り始める”と言ったほうがよいだろう。思わぬ伏線もあり、観る側を油断させない。やはり舞台演出もこなす監督の手腕が発揮された細かな演出がすばらしく、会話のテンポからしぐさ、会話に入っていない人たちの表情にまで細かな演出が施されていて、それに応える役者陣の演技力も見事。気の抜けたような作品の世界観とは真逆な、一つひとつへ気を抜かない制作陣の努力がうかがえる。これまでのフィルモグラフィーにはなかった、素朴で透明感があり、子供と大人の狭間で悩む、モラトリアムな少女を演じた二階堂ふみ、ポスターにもある湖のほとりで佇む彼女はとても色っぽかった。前作以上に怪しさと優しさを兼ね揃えた古館寛治や表情だけで心の動揺を演じた太賀もすばらしいが、個人的にはナヨナヨした人物かと思いきや自然と肉欲で溢れた男に切り替わる演技を見せた大竹直を評価したい。自分を良くみせるため、自分の人生経験の豊富さのために、敢えて困っている人に手を伸ばす偽善。誰かの幸せのために、自分が犠牲になり貴重な時間をなくす偽善。誰のためにもならないが、物事がうまく運ぶために目の前にあることを良きことととらえ見過ごす偽善。さまざまな偽善が交錯するなかで、どれを受け入れて、どれから逃げるのか。人生の分岐点で悩む少年少女と、人生の後半に差し掛かったところで振り返る大人たち。何か思い悩んでしまったときに見返したくなる作品である。余談ではあるが、終盤で使用されるある曲がプロデューサーである杉野希妃自身が歌っていることに気付いたのは映画のあとだった。ちゃんと聴いておけばよかった。

「ヌイグルマーZ」

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映画『ヌイグルマーZ』予告編 - YouTube

監督・井口昇、主演・中川翔子ということで、一体どのようなカオスな内容なのだろうと鑑賞したが、開始30分ぐらいで「おやおや?」となり、終わったころには首を傾げていた。一言で言うならば、監督と中川翔子、各々の個性であり特殊な部分が相殺し合ってしまっているような映画だ。序盤3分の1くらいは監督の過去作のような、ド派手なアクションと、どうしようもなくくだらないギャグの応酬が繰り広げられたいたのだが、中盤から普通の特撮作品のような熱いセリフや普通の戦闘シーンが繰り広げられるだけで、井口昇らしい要素が削がれてしまっている。「電人ザボーガー」のときも感じたことではるが、まじめなシーンが長く続くほど井口監督の作品は退屈度が増していってしまう。主演の中川翔子も普段見せるようなトリッキーな姿はそこになく、確かに変わり者だが中川翔子である意義がそこにはない。ジャッキー・チェンフリークである彼女に何故アクションシーンをやらせなかったのかも疑問。女優・中川翔子を見せたかったのならそれはそれでいいのだが、ただそれは井口昇監督の役目ではない気もする。必要なさそうなシーンをゆっくりと流し、あえて重要なシーンをパパッと切り上げる。沖田修一作品のように上手くいけば成功するパターンもあるが、今回はまさにその逆。やっとアクセルがかかり、猛スピードで動き出したかと思いきや、急ブレーキを踏まれているような、物語進行で、イライラしてしまう。武田梨奈のアクションも前作「デッド寿司」にくらべると、印象が薄く荒っぽい。何より性同一性障害を軽視しているような部分が、かなりの減点。デバルザが離れたら、タケシの変身は終わらないとおかしいし、冒頭のシーンとも一切つながらない。女性たちが乳からレーザーを出す攻撃が一次的に無くなるなど構造上おかしいところもあり、何でもありの井口作品とはいえ、しっかりとしてほしかった。特撮作品に造詣が深い人は燃え上がるし、グッとくる要素やセリフがあるのかもしれないが、手前のような人間にはピンとこなかっただけの話かもしれない。劇中の音楽は、原作者であり物語の真の妄想者である大槻ケンヂが携わっていることもあって、世界観にとてもマッチしていると思うし、斉藤工演じるコージの強烈なバカキャラは笑った。これまでの作品に比べて豪華キャストを揃えただけに残念。

「小さいおうち」

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『小さいおうち』予告編 - YouTube

2010年代、我々のような新たに映画好きになった輩が求める映画と、山田洋次作品の世界観にズレが生じていたこのタイミングで、十八番であり我々に避けられつつあった人情的な要素を残しつつ、これまで避けてきた、幸せの背後に迫りくる闇を描いた、山田洋次82歳にして新たな境地に挑んだ傑作。厚い紙を塗れたものに付けたようにジワジワと迫ってきて、それが爆発したときのカタルシスがたまらない。「無垢」な存在からジワジワと汚れていく時子、「透明」な存在からジワジワと染まっていくタキ。陰と陽、吸収するものは違うが、人間的になっていく二人、そして人間的になるにつれ知っていく人間の愚かさを丁寧に描いている(時子の服が次第に色濃くなってゆくのもそのせいか)。松たか子が放つミステリアスな存在感と、黒木華が持つ清楚かつ和の美しさが役柄に色を添えており、これはキャスティングの妙としか言いようがない。キャスティングといえば、作品によっては浮いてしまう吉岡秀隆の声色も、板倉が物語における異物な存在であることをより高めている。1シーンしか登場しない人物にさえ言及したいほど、ほとんどの人物が存在感を出しており、「男はつらいよ山田洋次の得意分野が生かされたところだろう。シリアスな中に盛り込まれるコメディ要素も抜群。途中で入ってくる現代のシーンも、展開を止めてしまっているように見えるが、シーンに登場する一つひとつのアイテムが過去とリンクしており、あとから先からしっかりと効いていくる。むしろ、現代のシーンを挟まないでずっと過去のシーンばかりでは息が詰まってしまっていたかもしれない。遠く先の話のようにしか捉えてなかった戦争という存在が、ジワジワと迫り、ついにその脅威が直撃した終盤のシーンは、まるで腹の内部を強く握られているような感覚になった。月並みなことを言うが、本当に戦争は良くないと思わされる。物語中で明かされるある真実も気づく人は気づく謎解き的な要素になっているのも面白い。これはとにかく「参りました」としか言い様がない。いわゆる「邦画」とは同じ映画のくくりに入れたくないような「純日本映画」をこの時代に魅せてくれたことに感謝せざるを得ない。敢えて欠点をあげるなら、終盤の現代のシーンは少し長すぎるし、年老いたタキ(倍賞千恵子)と健史(妻夫木)以外はの現代の人物はあまり生かされていないように思えるが、許容範囲。

 

「ジャッジ!」

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映画『ジャッジ!』予告編 - YouTube

いきな今年のワースト候補を観てしまったというのが率直な感想である。脚本がいい加減で物語中で矛盾が生じてしまっている。主人公・太田のキャラがブレすぎ。英語がまったく話せない設定が、中盤で審査委員長と平然と英語で会話、かと思えば終盤ではまったく話すことができない。仕舞いには日本語の熱弁で心を打ってしまうから驚きである。卑怯な手をとにかく嫌う性格なのに、審査員の一人に無理やり手を挙げさせる展開にはガッカリ。そもそもこの主人公、職場環境が悪くて持っている才能を開花できないならまだしも、素質すらなく共感さえできない(職場環境は確かに悪いが)。CMコンテストのシステムも酷い。ノミネートされている作品が審査員たちの作品であることがおかしいし、つまらないCMを受賞させるという課題の根幹である“つまらないCM”でないといけない、ちくわのCMが、「広告大賞」における“ローカルCM大賞”でノミネートされるような“くだらなくて面白い”レベルに仕上がってしまっている。審査におけるルールも雑で、手前のCMを売り込むことが違反ならば、ひかり(北川景子)が中盤でおこなった行為も充分違反になる。ひかりの表面的なギャンブル中毒キャラ、竜也(玉山鉄二)の存在意義のなさには辟易。俳優たちの無駄遣いしすぎだし、サカナクションの主題歌・エンディングも乱用。鏡(リリー・フランキー)のキャラクターは演者が放つ雰囲気が存在感を放っていたが、彼が実は凄い人間だいう種明かしも終盤の1回でいいのに、作り手側の観ている側をバカにしている姿勢が伺える。荒川良々がブラジル人なのも意味不明だし、タイやフィリピン系がオカマという日本人の偏見はいい加減やめたほうがよい。監督・脚本家がソフトバンクやTOYOTOWNのCMの制作者と知って合点。この製作陣、おそらく内容はどうあれ俳優陣を豪華にすればなんでも面白くなるという脳ミソの持ち主なのだろう。だから、ちくわのCMのような安っぽいものを嫌うし、つまらないと思うわけだ。俳優が豪華なだけで中身が無茶苦茶で何も伝わってこない、まさにソフトバンクやTOYOTOWNのCMと同じだ。あるドラマでスポンサーが下りまくっているというニュースを最近耳にするが、この映画からTOYOTAやエースコックがスポンサー辞退したほうがいい。褒める点を絞り出すとすれば、大滝(豊川悦司)の秘書である原田(玄里)ぐらいだろうな。